20230202
さて、1月に読んだ本の感想を簡単に書いておこうと思います。昨日これをやるはずだったけど、やっぱり時間がなくなってしまって。
まずは去年読んでいたものをお正月に読み終えました。しかも、1度では頭に入らず、メモをとりながらもう一回読んだ本。『不穏な熱帯』。
2011年のフィールドワークの日誌、その前後のフィールドワークの記憶と考察、人類学の歴史を往来してそこから「不穏な自然」が浮かび上がってくる。
2011年とはまさに、東日本大震災のあった年だ。著者はその7月に自身のフィールドであるマライタ島を訪れる。島民たちは日本の地震のことを知っており、著者を心配していた。また、当時ソロモン諸島にも津波警報が出され、普段と違う潮の流れを感じたアシ(海の民)たちは、海で住むことを恐れていると語る。そしてアシの人々は自分達が住む人工の島々が、「岩が死ぬ」ことによって「海に沈みつつある」という。これは、わたしたちからすると、気候変動のためである、と簡単に思ってしまうことだが、彼らは海面上昇のせいではないという。これを、彼らが科学的な知識を持っていないためだ、と簡単に片付けないとしたら、どのように考えたらいいのか、そこから著者は出発している。
アシの人々は「われわれはもう海に住めない」と語る。人類学の新しい潮流の中で、著者はいかなる民族誌を書けば良いのか?という疑問にもぶち当たる。
中でも、人新生という時代の括り方が最近話題であるが、人新生では「自然に対する人間の主体性を最大限に強調する近代の到達点である」というのが衝撃的だった。アシの民の沈んでいく島、私たち日本人にとっての東日本大震災、それは人に飼い慣らされた自然なのであろうか。
著者の目の前で起きている毎日の出来事の解釈と、人類学の歴史の中での著者の立ち位置、その二つが交錯していく。正直なところ、この本に書かれているすべてのことを理解できたとは思っていないのだが、スリリングな読み物としてとても楽しめた。そして、人類学の深みのようなものも覗き込むことができたような気がしている。
そして最近芥川賞も受賞された、井戸川射子さんの『ここはとても速い川』。関西弁で語られる、子供の視線。友達を守る強い心に、自分はこれほどまでに人を守ったことがあるのだろうかと振り返ってしまいました。幸せになってほしいと願ってしまいます。
そして『第二世界のカルトグラフィ』。こういう「第二世界」のような言い回しに私はとても弱い。旅の本なのかなと思っていたけれど、書物という旅でした。写真と詩についての印象的なフレーズ。
「・・・時が経てば経つほど、写真は、そこに映し出された断片の視覚的記録という、その特性を発揮する。
喪失と切り離せないメディアが写真だ。撮影者は2012年に他界した。そこに写された世界はそれ自体としてはもはや存在しない。しかし、そこには、それぞれの写真には切り取られた瞬間、かつて存在した現在が映し出されている。」
「なによりも詩とは、それが一読して瞬時に理解されることを阻む場合、読者には絶えず遅れてやってくる。理解に至るまで時差を伴う、そうした質で書かれた言葉がある。遅れてくる種類の言葉は、従って時間の外にあり、過去には属さない、と言えるかもしれない。・・・それはいつでも来たるべきものだ。だからこそ私的なものは、かつても今も、わたしたちの震えとなることを待っている。」
今日はこれで最後。パワーズの『惑う星』。素晴らしかったです。読みながら『みどりのゆび』を思いました。『アルジャーノンに花束を』は本文にも出てきたけれど、「ギフト」のような心を持った子供の行動が縦糸に、その合間にステープルトンのような惑星の想像力溢れる話が横糸に。そして見え隠れする女神の存在。今まで一番読みやすいパワーズでした。
さて、それでは今日はこれで帰ります。また明日もよろしくお願いします。おやすみなさい。