喫茶と読書 ひとつぶ

20220909

エリザベス女王がなくなりましたね。他の国の女王なのに、なんだか寂しい気持ちです。

『ケルトを巡る旅』読了しました。旅の本が何となく読みたかった日で、この本に手が伸びました。内容的には実際に旅する本ではなくて、ケルトの民話を中心としたことに思いを巡らせる本でした。実際にも行っているんですけどね。旅行記ではなかったです。

中で印象的だったのが、ケルトの伝統的な儀式を現地の人がするのですが、ケルト族は文字というものを持っていなかったらしく、儀式とはいっても、どんなふうにやっていたのか、ということは今はもうわからなくなっているようなのです。でも、ケルトの伝統を絶やしたくないという志を持っている人たちが、自分たちなりに解釈をしてその儀式を行うのです。

これって、何だかインチキな感じがしますよね。それでも、みんな和やかに楽しんでいるそうです。途中セリフがわからなくなって、手元のカンニングペーパーを読んだりするのもあり。何だかリラックスしていて、本当の意味でケルトの心を継承しているような感じですよね。とても身近にあるという。間違ってはいけない、順番は正しく、なんてガチガチに思ってしまうのが、私たち日本人ですが、こういうゆるさというのは見習いたいと思いました。神社に行っても、お焼香に行っても、前の人のやっていることをじっと見て間違わないようにやったりしますものね。そこでは、本来の目的である、神様を敬うとか、故人を偲ぶという気持ちが後回しになってしまっているような感じがします。

こんなことを書いていたら、ふと国葬のことを思い出しました。今月の27日に行われることが決まったわけですが、その是非について総理が説明していました。ラジオで聞いたのですが、その答弁で、旧統一教会と安倍元総理の関係について正すべきである、という野党の質問がありました。しかし、その質問は国葬とは関係ないということで、退けられていました。これは本質を外していますよね。国葬をやるだけの理由が、安倍元総理にあったのか、という大切な論点だと思います。そこが安倍元総理の命を奪った原因でもあったのですから、なおさら明らかにしなければいけないことなのではないでしょうか。国葬自体の根拠のあるなしも大切ですが、国葬という、国を挙げて大切だった人を偲びましょうという意味合いにふさわしい人物だったのか、その検証をきちんとすべきではないでしょうか。

さて、今日もなかなかに忙しい日でした。サンドウィッチが昨日今日とブレイクしています。あまり数を多くご用意できていなくて、夕方前に完売してしまいました。そしてスコーンも動き出しましたね。やっぱり少し秋めいてきたのでしょうか。明日もまたよろしくお願いします。おやすみなさい。