喫茶と読書 ひとつぶ

20220819

リチャード・パワーズをずっと読んでいます。今読んでいるのは『われらが歌う時』。これで4作目ですが、今まで一番読みやすいです。今下巻の三分の一くらい。

この物語の、それほど重要人物ではないのですが、ある人物が戦死します。その死を悲しむ家族の場面で、少し涙ぐんでしまいました。息子を失った母親、その母親を思いやる他の子供たち。遠い国で亡くなっているので、死体もかえってきません。これは第二次世界大戦の話ですが、こういう家族が各国でどれだけいたか、もちろん日本も含めて。それを考えると呆然とします。そして、戦争というのは起きてはならないものだと改めて思います。

それで思い出したのが『赤毛のアン』シリーズの『アンの娘リラ』です。この物語は第一次世界大戦にカナダが参戦するところから始まります。のんびりした自分の娘時代とは違って、大変な時代を生きるアンの娘リラが主人公。この中でもアンの息子の一人が戦死してしまいます。これもとても辛い。

そして当然連想されるのは今起きているウクライナ紛争です。ウクライナは国家総動員ということで、徴兵年齢の男性は国外に出ることも許されていません。家族が離れ離れになること、そしてそうした人の中で戦死される方もいるでしょう。その家族の悲しみ。人間はいつまでこうして戦争というものを続けるんでしょう。『みどりのゆび』のチトがいて、全ての兵器に花を咲かせてしまえばいいのに!と思います。

核は抑止力と言いますが、今ウクライナで起きていることを見ると、やっぱり力でしかないように思えます。核だけではなくて武器というものがある限り、やっぱり戦争、侵略行為というのは起きてしまう。それは火器がない頃からもちろん同じなんでしょうけれど。これは考えても堂々巡りなんですよね。

さて、今日はいつぶりかというくらいひっそりとした日でした。明日はどうなんだろう。怖い気がします。それでも明日はやってくる!ではまた明日。おやすみなさい。