喫茶と読書 ひとつぶ

20210801

こんにちは8月。というわけで、今日は8月1日。お店でお酒が飲めるのも今日まで。明日からは千葉県は緊急事態宣言下となります。これ、阿久津さんも書いていらしたけど、お酒もビールなんかは賞味期限があるんですよね。ひとつぶではそんなにたくさん仕入れていませんが、困っちゃうお店もあると思います。前回の緊急事態宣言を解いた時は、なぜ解いたんでしょうね?緩めたり引き締めたり、根拠がわからないです。

さて、娘から薦められた朝井リョウさんの『正欲』読了です。面白かった。一挙に読んでしまいました。多様性を認めることは可能なのか?ということなのだと思います。もちろん、今の世の中、多様性は認めよう、みんな違ってみんないい、だよね。ということでは終わりません。目に見えやすい多様性、認めやすいダイバーシティ。そこは昔より理解が進んでいて、本当に認め合っているかは別として、認めないといけない、という空気はできあがっています。でも、そんな甘いものではない。人間の嗜好というのはもっと血液型みたいに簡単にいくつかのタイプに分けられるようなものではないし、犯罪になってしまうものもある。それはどうするの?

正しさの権化、道を外さない人。そんなふうに自分は思われている、とずっと感じていました。さすがにもう今は散々レールから外れているので、そんなふうに思う人もいないですが、高校生くらいまでは、完全に綺麗な人生を送っていたと思います。それでも、自分の中にはそこからはみ出るものがあって、でもそれは人に言うのも面倒だし、パブリックイメージを信じていてもらう方が楽だったので、修正もしないままにしていました。裏表がある、というのともちょっと違うと思います。パブリックな私も私。でも、それだけってわけじゃない、みたいな。今思うと、それも若い時の自我だったのかなという気もしますが。

誰しも、そんなふうなことを考えていたのかもしれないな、と思います。そして、それがもっと深刻な人もいたんだろうなと、この小説を読んで思いました。私は気がつかなかったけれど、みんなが青春を謳歌している陰で、それがすごく嫌だった人もいたんだろう。でも、誤解を恐れずにいうと、悩みなんて、本当に人それぞれで、それがまたそれを捉える気持ちもそれぞれで、そこに優劣とか大小とかはつけられない。それがまさに、多様性ということなんじゃないだろうか。それはちょっと乱暴すぎる言い方なんだろうか。あなたにはわからないよ、と言われたら、その通り、としか言えない。心の痛みも体の痛みも、絶対にそれは個人のものだから。だからと言って、わからないから知らない、とはならない。自分の想像のつく限りは共感したいし、慰めてあげたい、聞いてあげたい。それしかできない。

でも、それでも少しは時代は多様性を認める方向には向いてきていると思う。それは確か。

さて、それではこれから少しまた何か読んでから帰ります。明日は雨?なの?涼しい雨ではないのでしょうね。湿度が高いのでしょうか。桃のカッサータ、なかなか評判良いです!じめっと暑い時に良いかも。それではまた明日。おやすみなさい。