喫茶と読書 ひとつぶ

20220923

雨の三連休始まりましたね。夜になって急にものすごく降り出しました。今はやんでいるみたいです。

さて、このブログにも何回も登場した『世界は時間でできている』読了しました。戻ったりしながら何度も読んだので、達成感。

初めの方は概念が面白くて、読んでいました。空間の認知を時間だったら?というふうに置き換えてみせる方法が面白かったり、物質と人間の時間のスケールの差によって、どんなことが起こっているか、という抽象的な考え方とか。でも、読み進むにつれて、この本の中の筋道はきっちりできているし、面白いのですが、一体これは私の生活にとって、なんなんだ?というような疑問がむくむくと頭をもたげてきたのです。

そう、物質は常に作用と反作用を繰り返している。対して人間は作用があっても反作用を保留していることがある。それが遅延であって、そのときに時間的内部が開く。読んでいるときはうわー!と思うのですが、ふと、一体これはなんなんだ?と思うわけです。面白い、確かに面白いが、時間的内部ってなんだ、どこにあるの?という、この本を読んでいる人にあるまじき思いを持ってしまったりするのです。自分は何を読まされているのだろうか。

ところが、最後の章を読み終えた私は、まだまだ理解が浅く、わかっていないことも多いにもかかわらず、静かな感動を覚えたのです。最後の章は「自由」についてでした。物理学の世界では、人間は物質として分解していくことができる。物質にはそれぞれ法則があって、それは変更されることはない。ということは人間の行動も意志も、全てあらかじめその物質によって決められたことであって、自由などはない。ということでした。

このことに対して、それまで六章をかけて解説されてきた「時間」という概念を使うことによって、「自由」というものが存在するということを導き出しているのです。この本を読んできてここに辿り着けてよかった、そんな思いでした。本当はここにその論理を私の言葉で書きたいのですが、まだまだ理解が浅くて、簡単に書けるものではありませんでした。

この本は「ベルクソン時間哲学入門」という副題がついていて、ベルクソンの理論を解説しているものです。でも、これを著した平井靖史さんのとてもわかりやすい文章によって、成立しているものだと思います。面白かった。もう一度読み直したいという気持ちもあります。

でも、ひとまず何週間かこの本をずっと読んでいたので、他のものも手に取りたい。なのでいったんこれは置きましょう。でも近いうちにまた再読します。そしていつか原典読みたいなあ。

それでは今日は早めに帰れそうなので帰ります!明日は予報では一日雨ですね。秋に向かっているとはいえ、まだ不快指数高めですね。負けずに楽しく過ごしましょう。それではおやすみなさい。