喫茶と読書 ひとつぶ

20211112

昨晩のブログ、2011になっていたのを教えてもらって、しれっと直しました!1が6個とか、書いていました。私の中では10年前に時が止まっているのだろうか。失礼しました。教えていただいて助かりました。ありがとうございました。

そういう間違いが多分あれこれと山のようにあるんだろうと思うと、怖いです。それがブログで済んでいたらいいのですが、いつかお店でも何かやらかしてしまったらと思うとゾッとします。前に老人がやっているカフェで、間違いがある喫茶店、みたいなのがあったの覚えています?オーダーと違うものが出てくることがあります、みたいな感じで、それも楽しみましょう、みたいな。なんかそういう店になっちゃったらどうしようとか思います。いや、もうそうなったらやめます。閉店です。

今日は『評伝 ゲルハルト・リヒター』を読みました。これは図書館で借りてきました。厚い本ですが、内容はみっちりではないのでさらっと読了。評伝というのは伝記とは違うのでしょうか。美術的な話が多く、人間に迫る、みたいな話や子供の頃のエピソードとかはあまりなかったです。私としてはリヒターという人のことを全然知らないので、作品の流れが読めて大満足でした。私が買った『Landscape』という本を見ると、かなり作風に幅があってバリエーション豊かな方なので、全体を知りたかったんですよね。『Landscape』では出てこないのだけど、リヒターといったらこれですよ、というカラフルなボーダーのシリーズなんかもあります。鏡やガラスを使った作品もある。その辺の時系列な流れみたいなこともなんとなくわかりました。

面白いのはアブストラクト・ペインティングと、風景画の関係性、バランスの話でした。その二つは全く違う表現に見えるけれど、同じコンセプトのもと作られている。アブストラクト・ペインティングは直感的に、理解不可能な世界を表しているし、リヒターの風景画は「ぼかす」ことによって現実をずらして、その存在自体で真実の不在を示している。どちらのアプローチでも、現実を掴むことはできないし、そもそも絶対的なものは存在しないのだ。

デュシャンのことも少しあって、それもおもしろかった。そしてこれは私が思うだけなのかもしれないけれど、デュシャンの遺作とリヒターの「滝」の風景画には関係があるのではないのかしら?ないの?階段を降りる裸体の共通点についてはいろんなところで言及されているし、この本で「大ガラス」とリヒターのガラスの作品の間に関係があることを知りました。遺作の、あの裸体が倒れている背景は関連はないのだろうか?

デュシャンが「絵画は死んだ」と言って死刑宣告をしたのに、絵画はまだ新しい表現を獲得して生き延びている。リヒターは写真を取り込んで延命を図った。来年6月にはリヒターの作品をたくさん見られそうなので、楽しみである。

さて、話は変わって、タルトタタン!見事に型からスルッと出てきて、成功しました。ところが今日はお客様も少なくて、タルトタタン、なんとひとつも出ていません。まだ明日も美味しいと思うので、ぜひ食べにきてくださいね。私、前回のを一切れ食べていますが、本当に良き!ですよ。というわけで、また明日もよろしくお願いします。おやすみなさい。