喫茶と読書 ひとつぶ

20210902

今日は涼しいというより寒かったですね。気がついたら体がすごく冷えていました。それでも、また来週は暑さがぶり返すそうです。寒いのも嫌だけど、暑いのも嫌。なだらかに秋に向かってほしい。

さて、お休みの日も含めて、ガッツリ読めていますので、そのご紹介。

まず『店長がバカすぎて』。単行本の時から、このタイトルが気になっていました。文庫本になったのを見かけて早速娘に紹介。彼女は書店で20ページほど読んで購入を決定しました。そして私にも貸してくれたのでした。読んでいるときに、くすくす笑ったり、もうーって声を出したりしていました。面白いんだなと思ってはいましたが、自分も読み始めたら思わず笑った。想像していたより、店長さんのキャラクターが面白くて、楽しい話でした。実際、上司が、社長が、っていうことってあるじゃないですか。そういう対立的なことが起こって、みんなで乗り越えていく、店長も育っていくみたいな話かと思ったら、全然違いました。そして、本屋さんが舞台なのですが、仕事大変だなあというのと、本が好きな人が多いんだろうなというところが、とても愛らしい小説でした。

そして図書館で借りてきた『うちのご飯の60年』阿古真理さん。この本は久保明教さんのこの間読んだ本『家庭料理という戦場』の中で取り上げられていたものです。副題が、「祖母・母・娘の食卓」というもので、娘にあたる阿古真理さんから見ておばあちゃんの世代、母の世代、自分の世代の食との関わりを詳細に記した本です。これはとても面白かったです。阿古真理さんは、実は私と同世代で、親もほぼ同じくらい、祖母はわからないけど、多分同じような世代なのでしょう。地方や職業などの違いがあるので、もちろん全く同じではないでしょうが、所々同じような体験をしているところがあって、すごく身近に感じました。また、私は祖母がどんな生活をしていたのか、というようなことは聞かないままになってしまったので、こんな感じだったのかなあと想像しながら読んでいました。母親に関しては自分でも見ていたので、おやつを手作りしてくれたり、新しいものを取り入れたり、というところは同じだなあと思って読みました。私の親の世代は、新しいものがどんどん生活の中に入ってきて、ものすごい激動の中を生きてきた人たちだと思います。カラーテレビや電話が初めて家に来た時のことは、とてもよく覚えています。あの時は親のことなんて見ていなかったけれど、多分大人もワクワクしていたんだろうなと思います。

食生活でもそういうことはあって、グレープフルーツを初めて食べた時とか、ツナ缶とか、アスパラ、ブロッコリーなんかが食卓に出てくるようになった時、母は楽しんでいたんじゃないかなと思います。ガスオーブンもありました。今でも狭い台所に、冷蔵庫があって、その上にテレビがあって、テーブルにトースターがあって、両親と自分と弟が座っていた場面はテーブルクロスのビニールの柄まで、思い出すことができます。「食」ということを中心に据えて時代を追っていく、とても面白い本でした。

そして『大阪』。柴崎友香さんと岸政彦さんの共著です。柴崎さんは大阪から出て行った人、岸さんは大阪に来た人。それぞれの視点から大阪という都市、というより街でしょうか、を語っています。私は大阪の地理はあまりよくわからず、実感できないところはありましたが、東京とはやっぱりちょっと違う、泥臭い感じ、人間臭い感じがしました。柴崎さんが小学校から中学、高校、大学と、だんだん移動できる距離が大きくなっていく感じがリアルでした。誰でも、どこに住んでいても成長につれて遠くに行けたり、買えないものが買えたりっていうことがあると思います。

自分はどうして本を読むのか?今日聞かれて、どうしてなんだろう?と、結局答えられませんでした。もうそれが、自分だからとしか言いようがなくて。一時期、本から離れた時期もあったのですが、やっぱりここに帰ってきてしまった。本を読んだからといって、教養人でもなければ、物知りでもないんですけどね。読んだ側から忘れていってしまうし。物心がついた頃からずっといつも本がそばにあったので、時間があればそれを読む、というのが自分の生活なんですね。

さてさてこれからちょっと明日のための仕込みをして帰ります。明日は長袖を持ってこようかな。昨日も今日もお客様は長袖ですね。夜は特にそれがいいかもしれません。それではまた明日。おやすみなさい。