喫茶と読書 ひとつぶ

20210901

9月ですね!そして涼しい、というか、寒い!びっくりです。去年も9月に入った途端に涼しくなったような記憶がありますが、ここまでではなかった。今日は長袖でもよいくらい。皆様風邪など召しませぬように。

さて、昨日はブログを書く時間もなく、スケジュールをこなしました。昨日のメインイベントは映画でした。『サマー・オブ・ソウルーあるいは、革命がテレビ放映されなかった時』という映画です。またまたピーター・バラカンさんのおすすめで見にいきました。これは1969年、ウッドストックが開かれたのと同じ夏、ニューヨークのハーレムで開催された「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」の記録映像を映画にしたものです。

当時テレビ放映、あるいは映画などを製作することを想定して撮られていた膨大なフィルムは、公開されることなく約50年近く放置されていたらしいです。そして、この映画のすごいのは、その発掘されたフィルムを、関係者はもちろん、観客(当時は子供だった人)に見せて、その頃の記憶を掘り起こしたりしているところです。夢のような子供の頃の1日を思い出しながら映像を見ている人たちは、こちらが見ていても感動的でした。

また、1969年というのはアメリカにとってどんな年だったのか、そういう説明がとても細かく、わかりやすくされています。その頃のことをあまり知らない人、アメリカ人ではない人にも、このフェスティバルの意義、参加している人たちの思いなどがきちんと伝わってきます。

スティーヴィー・ワンダー、B・B・キング、スライ、ステイプル・シンガーズ、ニーナ・シモン、マヘリア・ジャクソンなど、ものすごい人たちのライブを見ることができるのも楽しいです。でも、やはり一番心に残ったのは、観客の人たち。一面のBLACKな人たちでした。ぎっしりとステージを囲んだ若者、老人、家族連れ。みんな音楽を楽しみ、リラックスしているように見えました。「ハーレムにいれば安全だった」という言葉がありました。それは私にとってはちょっと違和感のある言葉でした。なぜなら、ハーレムは危険なところ、というふうに聞いたことがあったからです。でもそれは、日本人である私にとって出会って、黒人であるその言葉を言った人にとっては、逆にハーレムの外の方が身の危険を感じる場所なのです。お互いにお互いの場所を危険と思ってしまうという、なんとも悲しい話です。

フジロックや先日問題になった名古屋のフェスのことも、少し思い出しながら見ていました。私はフジロックも開催するべきではなかったと思っています。名古屋のフェスのことは問題外です。でも、ロックフェスの、あの、みんなが音楽を聞きにきていて、楽しくて幸せな空気というのは他の空間では味わえないことも確かです。芝生で寝転びながら、遠くで音楽が鳴っているのが聞こえてくる中でうとうとしたり、真夜中にたまたま通りかかったステージの音楽に魅了されてしまったり、グループで来ている子たちが楽しそうにじゃれていたり。フェスの空間での楽しい気持ちを思い出して、今の状況って、確かに息苦しいよね、と思いました。だからと言って、今開催されるフェスは擁護しませんが。『アメリカン・ユートピア』を見た時も思いましたが、早くまた叫んだり踊ったりできるようになってほしいです。

また雨が降ってきています。しばらくこの涼しい状況が続くのでしょうか。あっという間に秋になりそうですね。それではまた明日。おやすみなさい。