喫茶と読書 ひとつぶ

20241008

先ほどテラスモールで『憐みの3章』を観てきました。すごく面白くて、160分とかの長い映画だったのですが、飽きずに楽しめました。すごいことですよね。3話のオムニバスなのですが、2話目でちょっと目をつぶってしまったところがあって、残念だったので久しぶりにパンフレットも購入してしまいました。この映画は『哀れなるものたち』のヨルゴス・ランティモス監督の映画ですが、平日昼のテラスモールでは観客4人でした。(多分)そんなもんです。『哀れなるものたち』とは映画の作りとかもだいぶ違うので、安易にお勧めはしませんが、ストーリーも3話とも面白く、特に難解な映画というわけでもなかったから、誰でも楽しめる映画だと思います。あ、グロいところはあります。眠くなった以外で目を瞑ったところもありました。

さて、Xで見かけた新刊たち。(多分新刊)ブックマークを開けてみたら、調子よくたくさん出てきたので、ご紹介です。

まずは『ゲリラ・ガーデニング』(現代書館)

仙台の本屋さん、曲線さんの投稿で、「彼らが耕しているのは自分の庭ではありません。空き地、荒れた花壇、道路傍…そんな放置された土地をこっそり庭へと変えてしまう、「ゲリラガーデニング」の活動と手引きが記されています。土を掘る、種を蒔く、育てる。人間の根源的な営みの姿と持続可能なオルタナティブな社会の縮図がここにある。」「庭づくりの枠にとどまらない、議論や教訓、戦術が記された、勝手耕作完全マニュアル。」

なんとも気持ちが惹かれるタイトル、そして紹介文ではないですか。時々街路樹の根元に、多分この家の人が植えたんだろうな、というような草花があることがありますが、そんな感覚なのかな?とも思うのですが、もうちょっと規模が大きいのかも。植えてはいけないものだったり、生態系を壊してしまうものを大量に、とかはダメかもしれないけど、常識の範囲でならすごくいいことなのでは、と思いますが、いかがでしょう?私は一軒家に住んだことがないので、種や苗を植えるというと、必ず植木鉢やら土やらネットやらが必要になってしまい、不精者なのでなかなか手が出ません。&生き物を育てられないのですぐ枯らしてしまいます。そんな自分でも、土の庭があったら何か育てられるのかなと思ったことがあります。(草むしりとかのことをまるで考えていない)昔は共同体で共通の入会地みたいなものもあったというし、空き地のまま放置されているところで耕作してもバチは当たらなさそう。近所の人にはありがたがられそうです。こんなマニュアルを読んで、想像、できれば実践したら楽しそうです。

次は『オタク文化とフェミニズム』(青土社)。

京都の書店兼カフェ、シスターフッド書店Kaninさんの投稿。「金銭と時間の投資、心身の過剰な労働、性的消費との葛藤…、私たちと「推し」の間に浮かぶさまざまな問題、喜びと苦しさとが入り混じるその実践をすくい取りながら、「推し活」社会の現在地を描きだす。」「フェミニズムと相性の悪い推し活の矛盾に、まさに日々モヤモヤしている女オタクこと店主©︎。「はじめに」の「特に女オタクにとっては、規範的な女性性から逃れるある種の逃走線としてのオタク文化は大切な空間であった。」の一文に救われる思いがしました…。」

フェミニズム、というカテゴリーに、まだ踏み込めていない私なのですが、オタク文化の方は、割と興味ありです。その二つがタイトルで結ばれているところで読みたさが。バンドの追っかけみたいなことをしていたので、推し活にも親近感。でも、自分自身はそのこととフェミニズムとは全く交差していないので、どういう視点から書かれているんだろう、と思いました。書店で手に取って、内容を確認したいです。多分、自分にすっぽり抜けている視点があるんだろうと想像されます。早く出会いたい一冊です。

そしてもう一冊。『都市の緑は誰のものか』(ヘウレーカ)。

上野のROUTE BOOKSさんの投稿から。「現在各地で進行している都市再開発を見ると、ステークホルダーに対する情報開示や意見聴取がなおざりにされているのに加えて、過去世代、人間以外の生きもの、将来世代に対する配慮が欠けているように思われます」

私がまだ若かった1980年代、都市ろんはさかんに語られていました。その頃も、緑の重要性というのはあったと思うのですが、今の方が、切実な気がします。あの頃は、まだ人間のための緑だったけど、今は地球のための緑になっていると思います。建築や土木からだけではなくて、人文学からも都市を考えることはすごく重要です。一冊めのゲリラ・ガーデニングとも繋がることなのかもしれません。

今日は涼しくて、すごく気持ちがいいですね。というか、寒いかも。今ちょっと足が攣りました。でもまだ夏日がやってくるそうなので、皆様お気をつけくださいね。それではまた木曜日に!