喫茶と読書 ひとつぶ

20231214

今日は恐ろしいほどに静かな一日でした。最初は本を読んでいましたが、この時ばかりと、前に読んだ本のまとめをしていました!

それは『所有と分配の人類学』という本です。松村圭一郎先生です。今まで松村先生の本は読んできたのですが、今一つ何も掴めないままでした。私の読解力と素養のなさのせいなのですが、それが悔しくて、今回こそは、と思いつつ読んでいました。読み終えたのが、11月の終わりで、付箋はたくさん入ったものの、なかなかそれを見返すことができなくて、今日に至ります。

今日は付箋を入れたところを、さらっと見て、ノートを取ろう、と思ったのですが、結局割と拾い読みした感じでした。どこもかしこも大事な気がして。

私のうっすい感想よりも、抜粋したりした方が面白いとは思います。ただ、抜粋もセンスがいるのと、基本的にネタバレになるようなことは嫌なので、ペラい感想を書こうと思います。

本のタイトルからも分かる通り、これは人類学の視点から、「所有」について書かれた本です。「分配」ももちろんありますが、どちらかというと「所有」に力点が置かれている気がします。「所有」と言っても、いろいろありますが、ここでは「私的所有」についての疑問が書かれます。私たちは所有というともう、無意識に自分のものは自分のもの、と発想しますが、果たしてそうだろうか、という疑義です。エチオピアの農村を舞台に、そこで土地や農産物を巡るさまざまな諍いや出来事を通して、そのサンプル一つ一つに「所有」に関する考察を加えていきます。村の人の中での話もあるし、松村さん自身と村人とのエピソードもあります。

こう書いていくと、経済が未発達な地域では贈与経済だから、みたいなイメージを持たれる方も多いかもしれません。私はそうでした。発達の中途にある社会のあり方に、ヒントが、みたいな。でも、そうではありません。エチオピアのこの地方は、18世紀の後半はオロモ(という部族)によるゴンマ王国でした。それが19世紀の末にエチオピア帝国に編入され、イタリアの植民地という時を挟んで、1974年に社会主義革命が起こります。その後80年代には内戦が起こり、1991年に現政府が政権を握ります。その間、この本の舞台となるコンバ村では農地が国有化されたり、様々な民族が流入したりして、伝統的な村というところではなくなっていました。宗教もイスラームだったり、エチオピア正教だったり、改宗する人がいたりという状態です。そんな中で、人々はとうもろこしやコーヒーを作り、牛を放牧して暮らしています。

貧しい人が物乞いにくれば、作物を分けてやることもあります。これがやっぱり今の自分たちの生活感とは違うところなのですが、ちゃんととうもろこしなどを渡してあげます。すると、ムスリムではない人でも、アッラーの神からの祝福を唱えたりします。普通に考えると、これはイスラームの喜捨ということになりそうですが、そうとばかりも言えないようです。作物をあげた側からすると、与えすぎると、次は自分が困るのではないだろうかという心配があるのです。でも、分け与えないで溜め込むというのは罪悪感がある。そういうジレンマがあるようです。この分析はとても人間的ですね。これだと、自分でも共感できます。自分と同じ時代に生きている人、という感じがします。そういう目で、松村さんは分析をしていくのです。

事実を積み重ねて、それを客観的に分析していく。大変科学的な手法で書かれたものでした。解説にも書かれていましたが、ものすごく細かくて気の遠くなるような作業だと思います。そして、何より重要なのは、これは「自分のものを好き勝手にして何が悪い」というような論調や「リバタリアニズム」と呼ばれるものへの反論である、ということです。それらに対して、何か嫌な感じを持つものの、なかなか言い返せないのですが、所有ということを見直すことによって、批判することができるのかもしれません。さらに、最後の注ではグレーバーを引いていて「国家なき世界」まで言及されています。ワクワクしますよね!

完全には理解はできていないのですが、今までの著作よりも、きちんと読めたような気がします。折しも、土地の所有をめぐって、二つの戦争が起きています。何かヒントになることがあるのかもしれません。みんな一旦兵器をおいて、書を読もうではありませんか。(『所有と分配の人類学 エチオピア農村社会から私的所有を問う』松村圭一郎、ちくま学芸文庫・2023年)

変な感じに締めちゃいましたが、割と本気です。

さて、それでは帰ります。明日は雨が降るのかな?土曜日は暖かくて日曜から寒いんでしたっけ?灯油も買ってこないといけませんね!ではまた明日。おやすみなさい。