喫茶と読書 ひとつぶ

20221226

こんばんは。今週のひとつぶ終了しました。今年も残すところあと2日。最終日は18時までの営業ですので、お忘れなく。ということは、9時間+6時間で15時間しかないんですね!あと少し。

イブ、クリスマス、とはうってかわって、今日は久しぶりにとても忙しい1日でした。レジのアプリを見ると、今日は山が4つ。売上が好調な日は、たいてい山は3つです。今日も後半は山が2つになっていますが、1つと見ていいと思うので、まさに、好調な日でした。小さな山が3つ、という日もないわけではないですが、売上があんまり、という日は、たいてい昼か夜に山があって、あとは平らです。

一日遅れのクリスマスプレゼントも、見事に無くなりました。みなさん受け取ってくださってありがとうございました。

今日の朝の仕込みの時にポッドキャストを聞いていました。『ゆる言語学ラジオ』というものなのですが、なぜそれを聞いていたかというと、お題が「手話」だったのです。この間荻上チキさんの『セッション』でも手話のことを特集していて、それがとても面白かったのです。『セッション』の時には言語学者で手話を専門にされている方がゲストで、言語学の見地から手話のことをお話ししていました。その時に初めて知ったのですが、手話は日本語と全く文法が違うそうなのです。これはとてもびっくりしました。実は手話には二つあって、日本手話というのがろう者が最もよく使うもので、それに対して日本語対応手話というものがあるそうです。これは私たちが普通に声で話す時と同じように単語を並べていくものです。私は手話というものには、この日本語対応手話のイメージしかなくて、音声の日本語と全く違うものがあるとは知りませんでした。また、音声で話す時には、音声というのは同時に複数使うことはできないので、単語を並べていくしかありませんが、日本手話だと、表情だったり手だったり、同時にいくつもの表現をすることができるので、とても合理的な表現だということも言っていました。

そんなふうに手話のことを考えたことがなかったので、とても不思議な気持ちになりました。そして、外国語に対して思うような、そんな遠い感覚があって、少し寂しい気持ちにもなりました。

ろう者の人の感じている世界は、きっと自分には想像もつかない世界なんだなと思います。文章を読む時には私たちと同じ文法のものを読んでいて、でも何かを他人に伝える時には、また違う文法で手話をする、というのはどういう感覚なんだろう。私たちが本などを読んでいて、音として文字を感じているようなものの時、それはどういうふうに感じられるのだろう。

耳が聞こえなくてかわいそう、と私たちは思ってしまうけど、そこには私たちが想像もできないような世界が実は広がっているんですね。五体満足というけれど、そんなに簡単なものではない。そういうことを学んだ気がします。そんな興味もあって、『ゆる言語ラジオ』を聞いていました。まだ途中なのですが、本当はYouTubeで見た方がいいのかもしれません。実際の手話を目で見られるようです。

さて、明日と明後日はお休みです。最後の二日に向けて、ゆっくり休み、遊んで、仕込みします。実は明日はライブなのですー。ライブ納めて参ります。それでは今日は帰ります。おやすみなさい。