喫茶と読書 ひとつぶ

20220709

今日は午前中と夜に橋本永美さんの絵の撮影がありました。今展示している絵です。当初は午前中のみの予定でしたが、夜の光の方が合うかもしれない、ということになって、先ほどまで撮影をされていました。午前中も夜も、私は仕込みをしていたので、詳細はわからないのですが、お二人ともかなり集中されていて、長い時間撮影をされていました。そういう様子を見ていると、自分の作品に対する執着とか理解とか、アーティストの方はすごいなと思います。とても勉強になりました。

私はオールラウンダーで、なんとなく大体のことは普通にできて、あまり困ったことがありませんでした。その代わり突出したものもなくて、これだけは負けない、というようなものがありません。歯を食いしばって頑張ったということもありませんでした。私が学生だった頃は、それは学校にとっては都合の良いことで、良い児童、良い生徒だったんだろうなと思います。自分もそれに疑問を持つことなくやって来ました。でも、心のどこかに、自分のことや表現に執着する人に対して、羨ましい気持ち、そしてそれができない自分を否定する気持ちがあったのだと思います。今はそういうことも全部ひっくるめて自分なんだなと諦めのような達観のような心境です。

さて、昨日安倍元総理への襲撃事件について書きました。あまり書けなかったのは、ちょっと怖かったからでもあります。昨日も書いたように、基本的に安倍さんについてはあまり良い感情を持っていなかったため、暴力ということについては憤りを感じたものの、それ以上同情的な感情は湧いてこなくて、それについて簡単に書いてしまったら、人として大変に失礼なことをしてしまうのではないだろうかと思っていました。今でも慎重にしないといけない、というのは自分に言い聞かせています。

いろいろなことがネットニュースで伝わって来ますが、犯人の男性は安倍元総理の政治的な信条に対して抗議の気持ちがあったわけではないようです。これが全てを表していると言っていいのではないでしょうか。これはテロではない。個人的な恨みからの計画的な殺人であったということだと思います。

暴力を恐れて選挙活動などが縮小されてしまうのではないか、ということが危惧されました。しかし私が一番気になったのは、同情によって投票してしまう人がいるのではないだろうか、ということでした。そして、故人をヒーローに祭り上げて、彼の念願だった憲法改正をどさくさに紛れて実行してしまおう、というようなことにならないだろうか、ということです。暴力によって命を落としたのは大変無念だったろうと思います。しかし、それとこれとは別の問題です。そういう感情で投票行動を起こすのは大変危険なことです。昨日のブログではその辺がうまく書けなかったため、気になっていました。

明日は参議院選挙です。安倍元総理への哀悼の気持ちとこれからの未来のことは少し切り離して、理性的な気持ちで投票をして来てください。

そして昨夜帰宅してしばらくテレビを見ていましたが、ショッキングな映像が延々と流されていました。これも気をつけたいところです。私は寝る直前のうとうとした時に、銃声が聞こえました。空耳だと思うのですが、テレビで聞いていた音声が意識にあったんだなととても恐ろしい気持ちになりました。

それではこれで帰ります。今エアコンを切っていますが、なんとなく蒸し暑くなってきた。明日はどんな天気でしょうね。それではおやすみなさい。また明日。