喫茶と読書 ひとつぶ

20220423

今午後10時40分です。常盤平駅前、割と人の声がします。私は常盤平の夜をあまり知りませんが、ひとつぶを開店したのがコロナ禍の最中だったこともあって、夜はしんと静まりかえっているイメージでした。でも、そうじゃないかもしれないですね。営業が9時までだから、それほど酔っ払いというのもないでしょうが、ちょっと心配になりました。

酔った人の声なんかを聞いていると、世の中コロナが明けてきた感じありますね。ひとつぶにとって、どういう風が吹いてくるのか、ものすごく心配ではあります。コロナに関しては思いもかけず、時代にあった感じになったこともあって、逆風ばかりではなかったんですよね。これでコロナが終息して、ひとつぶの役目は終わった、みたいなことにならないようにしたいです。とはいえ、特別に何か変更するということでもないので、「ひとりの時間を楽しむ」場所として、ひっそりと営業していきますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

さて、お客様から昨日のブログの根無草的な人間である私は、国家を滅ぼしてしまうような存在かもしれない、という内容について、ご質問をいただきました。これはまず、私一人がという意味ではもちろんありません。地域社会に参加しなかったり、愛情を持って地域に貢献してこなかった、私のような人間が増えると、国家は衰退していくんだろうな、という意味で書きました。

私が唯一地域社会に参加していたのは、子供が絡む行事で、小学校くらいまででした。子供が幼稚園に行く前には、遊びに行くところもなく、お友達もいなかったので、地域の育児サークルのようなところに、大変にお世話になりました。地域の方に助けていただいていたけれど、その時期が終わって、自分が人に何かしてあげられる時にはあまり地域にいなかった感じですね。意識が低いと言われたら、そうなのかもしれません。恥ずかしい話です。

ウクライナのニュースを見ていても、やっぱりみんな祖国のために戦っているわけですよね。製鉄所にこもっているんですよね。投降してしまいなさいよ、と思ったりするのです。もちろん投降しても地獄が待っているのかもしれません。でも、最後の一人になるまで戦うとか、もういいよ、って思ってしまうんですよね。

そういう意味で、私は『国』というものが本当に嫌いです。でも、困ったことに、私は日本語や日本の文学、文化を愛しているのです。ここが矛盾しないようにするにはどうしたらいいんでしょうね。

ちゃんとしたお答えになっていなくてすみません。ウクライナ侵攻は何か今までのいろいろな紛争よりも身近な感じがしてしまいますね。不思議なことに。アジアやアフリカで起きていることよりも、ヨーロッパで起きていることの方が近く感じるというのは、日本という国が西洋に憧れ、目指してきたからなのかもしれないですね。

複雑な思いを胸に抱きつつ。おやすみなさい。また明日。