20250420
昨日も今日も、夜になると鳥の囀りが聞こえてきます。これはどこかで流している音なのかな?夜に鳴く鳥ってあります?ナイチンゲール?この間、朝、きれいな囀りが聞こえていたんですが、まさかあれも何かも録音を流しているんじゃないよね?と思ってしまいました。油断できない現代の生活。
さて、今日も静かな1日でした。今日読んだのは『人間の建設』。これは批評家の小林秀雄と数学者の岡潔の対談です。昭和40年。ちょっと前にBread&Rosesさんで購入して、そのままになっていましたが、「共存人類学研究会」というポッドキャストでこの本を取り上げていて、その本知ってる!と思って読みました。対談の中で、岡潔が盛んに「情緒」という言葉を連発していて、数学と情緒という組み合わせ面白いなあと思って読んでいて、途中で、あ、ポッドキャストでも同じこと言ってたな、と思い出したりしながら読みました。数学と情緒って、なんか結びつかないですよね。岡潔は、人間は知情意と感覚があって、数学のようなものでも、いくら知の部分で証明されていても、情がそれを認めないことがある、ということを言っています。そんなことあるんだ!と思ってびっくりしました。科学というのは証明さえできていれば、そこが終着点だとばかり思っていました。岡澄によれば、最近(当時の)はその情の部分がなくなっているので、数学が抽象的なものになっている、ということでした。
そのほか、岡潔はピカソは無明だけを描いていた画家だとか、「神風」の精神を持っている日本人に世界の希望がある、とか、極端な感じもするけれど、面白いことをたくさん言っています。一番面白かったのは、科学は破壊ばかりして建設ができていない、というところです。これが書名の『人間の建設』の元になったのでしょう。人類の生命を最近から守る、ということについても、実は細菌を破壊しているだけなのだ、ということです。石油にしても石炭にしても、自然が作ったものを使っているだけだという。そして、「人は自然を科学するやり方を覚えたのだから、その方法によって初めに人の心というものをもっと科学しなければいけなかった」と言います。すごいです。(『人間の建設』新潮文庫)
さて、それでは帰ります。明日はどうなんだろう。昨日今日と、週末にしては落ち着いた感じでした。このまま連休までこんな感じかもしれません。ではまた明日。おやすみなさい。