20240313
こんばんは!今日は暖かでしたね。といっても店内はそれほどっていう感じでした。開店前に温度計を見たら20度いっていなくて、エアコンをつけました。室内まで暖かさが入ってくるのはまだまだでしょうかね。
さて、お休み中は歯医者さんで検診を受けたり、期日前投票(千葉知事)に行ったり、美容院に行ったりと、サクサクと予定をこなしました。これだけやらなければいけないことをやるのだから、と、土曜日はふらっと都内の本屋さんに行ってきました。書いたかった本があったりなかったりでしたが、今年はあまりたくさん買わないぞーと思っているので、控えめにしました。最近は買うより読みたい欲があって、これはこれで良い傾向だと思っています。買い貯めた本をどんどん読んでます。
今日はだいぶ時間がかかりましたが、宇野常寛さんの『庭の話』を読了しました。読み応えありました。そして、読みながら、すごく感情が揺さぶられた。内容としては、平易な言葉で語られる思想書、という感じでしょうか。ラジオでご本人が、書店で園芸のコーナーにあるのを見たなんておっしゃってましたが、あながち、というところもあって、ジル・クレマンの『動いている庭』から思考を引いていたりするのです。また、これは偶然ですが、この間読んだ『生物から見た世界』のことも出てきました。本は繋がっていますね。この本の帯分を國分功一郎先生が書かれていますが、國分先生の『暇と退屈の倫理学』とか『中動態の世界』も出てきて、あ!と思いました。しかしながら、あれほど夢中になって読んだはずなのに、今やすっかり内容を忘れていて、もう自分に絶望しかないです。そして、もう一度読まねば、と決意しました。そっちを読むと、今度は宇野さんの方の話を忘れてしまうんだろうなあ。困っちゃいますね。
感情を揺さぶられた、と書きましたが、まず初めの章のところで、私は著者に対して、ちょっと嫌な気持ちを持ってしまって、もう読むのをやめようか、とさえ思いました。この世の中にはAnywhereな人々とSomewhereな人々がいる、というのです。Anywhereな人、というのはどこでも生きていけるグローバルな世界で活躍している人。Somewhereな人はその反対で、土地にしがみついていないと生きていけない人、という意味です。この説明が延々とあって、あまりに単純に二分して対比されている気がして、怒りを覚えました。読み進めるうちに、分断を煽るというような意図はないということはわかってきて、また、Anywhereな人もまた、Somewhereな人と同じ罠にかかっている、ということも書かれていて、興味が湧いてきました。
孤食の話とか、糸井重里氏のこととかについては、私も同感、というところがたくさんあって、あんまりみんなが言わないことを、きちんと言語化してくださっています。食の話で言うと、ラジオでも1日に一食しか食べないので、ものすごく大切にしているとおっしゃっていましたね。だから人と話しながら食べる、というのはやりたくないのだそうです。食事に集中したいから。「食」と真剣に向き合うためには、孤独が必要。それは決して寂しいと言うようなことではない、という考えです。人との関係性だけが全てではない、「食」だったり、「自然」だったり、人間以外のものとも向き合う時間があることの豊かさ。
宇野さんには他にも著作がたくさんあって、今度は『遅いインターネット』を読んでみようと思いました。ラジオで早口をチキさんに諌められたみたいですが、言葉が頭から溢れている人なんでしょう。『庭の話』。面白くてためになる、元気も出ました。(宇野常寛『庭の話』講談社/2024年12月)
さて、それでは帰ります。今日はうっかり羽織るものを着てこなかったので、ちょっと寒いかもですね。自分でもびっくりしたのですが、厚めのベストを着ていたので、すっかり上着を忘れてしまった。はい。また明日もよろしくお願いします。あ!川村美術館のこと、ニュースになっていますね!そのことも書こうと思っていた。明日にします。おやすみなさい。