喫茶と読書 ひとつぶ

20240621

こんばんは!今日はすごい雨でしたね。わたし、天気予報をちゃんと聞いていなくて、今日は曇りで暑い日だと思っていました。朝起きて雨っぽかったけれど、止むんだろうなあと思ってサンダル、半袖で来てしまいました。1日降るなんてびっくりでした。でも、このくらいの気温がいいですね。ちょっとひんやりして心地いい。

こんな日なので、お客様も少ないかなあと思っていましたが、意外とお客様が絶えず、嬉しい1日となりました。それでも本も読めて、得した気分です。

今日読み終わったのは、熊本で買った『苦海浄土』です。実は恥ずかしながら、わたしはこの本を読んだことがありませんでした。もしかしたら、数行の抜書きとか、受験の問題とかで出題されたものを読んだりしたことはあったかもしれません。読もうかなと思ったのは、いろんなことが重なったからだと思います。先日水俣病の被害者の家族の方の公聴会で、マイクの音量が絞られる、という出来事がありましたが、その時に水俣病というのがまだ全然解決していない問題なのだということを初めて知りました。これも恥ずかしい話です。わたしが小学校か中学校の時には、すでに公害病として教科書にも載っていたことだったので、いまだに訴訟が続いているとか、きちんと認定作業がされていないというのは、本当に驚きました。また、熊本に旅行に行くことで、読んだ本の中に、やはり水俣病について、また石牟礼道子さんのことを書いたものを読んだりしていました。苦海浄土、水俣病、石牟礼道子、そういうワードがわたしの周りにすごく多くなっていました。そこで、熊本の橙書店さんでこの本を買おうと思っていました。実際棚には何種類かあって、ハードカバーの厚いもので第3部まで収録されているものも魅力的でしたが、ひとまずここは文庫本で読もう、と思ってごくごく普通の講談社文庫を買いました。

この作品の感想など、私如きが書けるものではありません。凄まじかったです。途中で胸が苦しくなって、読むのをやめようと思ったところもありました。水俣に住む人々の言葉が、方言なので良くわからないところもあるのですが、概ねわかって、その言葉のリズムがものすごくて、圧倒されました。そういう聞き書き的な部分の合間に、行政や医療の資料が入っていて、その客観的なところがまた恐ろしかったです。また、自分が生まれるよりも前の話が多くて、その頃の医療や社会通念などを考えると、どんなにこの病気が恐ろしいものであったかを想像してしまいました。

あとがきなどはまだちゃんと読めていないのですが、びっくりしたのは、石牟礼さんは特に録音とかインタビューとかをしていなかった、というところです。患者さんの言葉は、石牟礼さんが代弁して書いたと思われるそうなのです。なんという筆力でしょう。凄まじい。また、それだけその対象に寄り添っていたということでもあるのだと思います。

水俣という小さな町にとって、チッソという会社がどんなに大きな存在だったのか。そういうことも、とても悲しいけど理解もできました。軍艦島も同じ時代のことだと思いますが、敗戦国である日本が這い上がっていく過程で、犠牲になったり、歪んだりした地域や人々がいるのだと思いました。でも、もうそこからいくつも世代は変わっています。もう患者さんや家族を苦しめないでほしい。歴史の教訓としての位置付けができるように、保障や謝罪などをきちんとしてほしいです。

さて、それでは帰ります。今日はスープばかり出ましたので、明日は少し多めに作ってみようかと思います。ではまた明日。おやすみなさい。