喫茶と読書 ひとつぶ

20251027

こんばんは!今日は今週で一番忙しい日でした。ゆるゆるとした日が続いていたので、あたふたしながらも、ちょっと嬉しかったです。でも、後で気がついたのですが、みなさん、タルトタタン最終日だと思ってましたか?SNSには何も書いてないですもんね。まだ二週間やりますので、食べにきてくださいね。

さて、先に木曜日からのメニューを。カレーは豆のカレー、スープは手羽元のポトフ、おやつはタルトタタンとプリン、スコーンです。

昨日書いた『歴史修正ミュージアム』のことが何となく頭に引っかかっていました。美術館と博物館の棲み分けというところです。美術品とは何か、なぜ西洋美術の文脈にないものは資料として博物館に収蔵されるのか。それに対して、私はもともと美術とか芸術という観念自体が西洋の思想に基づいたものだから、仕方ないのでは、というようなことを書きました。そこは今もあまり考えとしては変わっていません。でも、そこに価値の問題が絡んでくるとこれは別だ、ということに気がつきました。美術館に収蔵されるものの方が博物館にあるものより文化的に価値が上、ということがあるのだとしたら、それはおかしいですよね。そもそも、その価値って何で測るものなのか、という疑問もあります。それは答えが簡単に出ることでもないのだと思います。だからこそ、そういう慣例のようなものを明るみに出す、という作業は必要なことなのかもしれません。自分たちが囚われている西洋の美術史とは何なのか、どういう権力を持っているのか、その周辺にあるものをどう捉えていけばいいのか。そういうことを考える、意見を持つ、ということが大切なのだろう、と思いました。

筆者の小森真樹さんが本チャンネルというポッドキャストでこの本についてお話をされています。聞き手は幕張の本屋lighthouseの関口さん。とても鋭い、良い対話です。私も何かやってみたい、という気持ちになりました。

今日は『ヤンキーと地元』を読み始めました。沖縄で解体などをやっている人のドキュメンタリーなんですが、私が昔働いていた産廃の会社も沖縄の人がたくさんいたので、言葉も懐かしいし、すごく重なるところがあります。会社を辞めた時、その会社のことが嫌いになったし、沖縄のことも嫌いになりました。なので、ちょっとこの本を読むのは辛い気持ちもあります。でも、彼らが共有していたもの、私が弾かれていたものが何となく見えてくるような気もして、読み進めていこうと思います。

それでは帰ります。また木曜日からよろしくお願いします。来週はまた三連休なんですね。夏ほどではないだろうから、リラックスして臨もうと思います。今週もありがとうございました。おやすみなさい。