喫茶と読書 ひとつぶ

20250522

火曜日のお休みに、東京都現代美術館の「サウンドウォーク・コレクティヴ」に行って来ました。そう、パティスミスのです。公演前にも行きましたが、見られなかったものもあったし、あの時には時間も気になっていて、なんとなく集中できていなかったし、何よりもう一度パティの声が聞きたくなったからです。

開館と同時に入って、ほとんど人のいない展示室へ。この展覧会は8本の作品を大きなスクリーンで写すというのがメインなのですが、私はてっきり、毎日1本目の《チェルノブイリの子どもたち》から流しているんだろうと思ったのです。ところが、入ったら《パゾリーニ》の暴力的な映像。しかも、一番奥のスクリーンは《メディア》。昨日の閉館から引き続きで流しているんだなと思ったものの、なぜ奥のスクリーンだけ違う作品なのか?と疑問でした。何か間違っているんじゃないだろうか。その疑問は、もらった作品リストに挟み込まれたプリントに書いてありました。以前は8作品を一つづつ上映していたのですが、それを二組づつ、4つのグループに分けて、A面とB面という意味合いで、主に奥のスクリーンだけ、対になる作品を上映しているようです。その奥のスクリーンの手前が、日本語訳が流れるスクリーンなので、前は視線が奥に向かうことが多かったのですが、こうなると全体を見るようにはなりますね。

意味合いがわかって、ほっとして、全部ゆっくり見てきました。一つ一つに、メッセージが込められていて、本当に素晴らしい作品だと思います。パティの声も心に響いてきて、あそこにいると、自分が高められていくようで、崇高な気持ちになります。宗教ってこういうことなんじゃないか。

前回も、そうなんだ、知らなかった!と思ったのですが、《さまよえる者の叫び》という作品についてです。ここで語られるのは、石油を海から掘り出すために、海中で使用される振動銃のことです。振動銃によって、地上ではわからないけれども、海中では銃声が鳴り響くような状態になっているようです。その振動音のため、イルカやクジラがコミュニケーションを取れなくなり、離れ離れになって、海岸で座礁したり漂着してしまうことがあるそうです。海中での騒音。考えたこともありませんでした。近所で道路工事をしていたら、うるさいですよね。そういうことと同じなのだと思います。いや、もっと重大なんだろうと思います。それを思った時に、海上での風力発電のことを思いました。あの装置は海に何か影響を与えてしまうんではないだろうか?心配になりました。私は原子力はなるべく使わないほうがいいと思っています。そのためにも、風力発電は重要なテクノロジーだと思っていたのですが、必ずしもそうではないのかもしれません。

全部を見ると、2時間はかかりますね。会期中に後もう一度行きたいなあ。もう少し、日本語の詩を頭に入れておいて、なるべく対訳を読まなくてもいいようにできたらいいのだけど。

さて、それでは帰ります。今日は先日私が大変失礼なことをしてしまったお客様がご来店くださいました。お客様は全てご承知で、ブログも読んでくださっていて、もうその大きな心に感謝でした。ありがとうございます。私ももっと大きく広い気持ちで生きていきたいなあ。なんでこせこせしちゃうんだろう。嫌になったところで、帰ります。また明日もよろしくお願いします。おやすみなさい。