喫茶と読書 ひとつぶ

20240624

今日の夜、7時40分くらいから、AIRレジが挙動不審となりました。ひとつぶでもなかなかサーバーに繋がらず、お会計に時間がかかってしまいました。それでも一応4件の決済はできた感じでしたが、その会計が「未送信」という状態になっていて、それが直りません。AIRレジのサポートページなどにも繋がらないため、困った時のX(旧Twitter)!検索したところ、サーバーダウンしていたようです。リクルート全体でのことのようで、ホットペッパーとかじゃらんとかもダメだったようです。その後9時前に復旧して、ひとつぶの未送信データも無事に送信されたようです。レジ締めもできました。X上ではレジ締めができないとか、現金決済のみになることをアナウンスしているお店などが多数でした。ひとつぶはとりあえず大丈夫そうですが、これが振り込みまでわからない気もします。以前に二重の決済があった時に、AIRレジとAIRペイは連動しているようで落ちるところもあるのは経験済みだからです。その時もあんまりいい対応じゃなかったので、また何かあったら気が重いです。キャッシュレス決済は便利だけれど、これが怖いですね。

さて、今週は本の紹介はやめにします。なぜかというと、それほどピックアップしていないからなのです。ちゃんとチェックはしていたのですが、あんまりたくさんなくて、来週でもいいかなという感じです。

その代わりと言ってはなんですが、読んだ本をご紹介『痛みの<東北>論』です。副題は「記憶が歴史に変わるとき」とあります。2011年から2023年まで書かれたものが年代順に並んでいる。2011年はもちろん東日本大震災の年だ。この震災が起きたことによって、それまで可視化されていなかったことが見えるようになった。過疎化、原子力発電所、農業や漁業のことなど。今年の元旦の能登の地震もそうだった。それまで日常の中でなんとなく見えなくなっていたことが、地震という自然の暴力によって明らかにされる。目を背けるわけにはいかなくなる。

そして、辺境と中央の距離感。大地の、大海原の幸は中央に運ばれる。電力も人も。それは沖縄や水俣も同じなのかもしれない。震災が起きた日、著者は本棚から崩れ落ちた本の中から『苦海浄土』を読む。その本だけがその夜読むことができた1冊だった。後になって、「近代の帰結」という共通項を大地震によって起こったことと、水俣で起きたことの間に著者は見出し、水俣へと向かうのだ。

この本の中に、漁師が海に出る時の描写がある。「磯場や浜辺は、陸地と海が入り混じる此岸と彼岸の境目であり、子どもはとりわけ用心だ。しかし、三陸の漁師は、毎日のようにその境界を越え、彼岸へ向けてほんの小さな船をこぎだしてゆく。そこに広がる世界は、絶望的に巨大な環太平洋である。」これに続けて、海と共に生きることは豊穣と厄災を併せ持って生きるということ、と著者は続けている。彼岸と此岸、豊穣と厄災。自然と生きるということはその境目を行ったり来たりすることなのかもしれない。「近代」を生きる自分たちにはそのような技術はないだろう。そういうことを理解せずに、「復興」などと、簡単に言ってしまっていいものなのだろうか。東北で起きた出来事に答えが出せないまま、再び能登で地震が起きた。この国は、このままでいいのだろうか。国土とは、そこに住む民とは、ということをもう少し深く考えなければいけないのではないだろうか。(『痛みの<東北>論』、山内明美、青土社、2024年3月)

さて、それでは帰ります。木曜日からのメニューですが、カレーはチキンカレー、スープが未定です。軽めのものになるかと思います。おやつは引き続きTribalCacaoのガトーショコラ、プリンとスコーン。もしかしたらもう一品やるかもしれません。SNSでお知らせします。(あの、SNS と入力すると、LBGTと変換されてしまうのですが、なんででしょうか?)それでは今週もありがとうございました。また木曜日からよろしくお願いします!おやすみなさい。