喫茶と読書 ひとつぶ

20231116

今日は前半ものすごく忙しかったです。ありがとうございました。明日が雨なので、今日は忙しいかなとは思っていたのですが、体がなかなかついていかなかった。一息ついたところで、体感16時くらいなんですが、なんとまだ13時台!みたいな感じでした。体力つけないとね。

そんなわけで、明日の朝もヘビーな仕込みが待っているので、今日は早めに帰ります。今ご飯も食べました。お肉の仕込みなんかもやりました。

今日ふと思ったのですが、私、お休みの二日間、ほとんど本を読めていませんでした。こういうことって結構あるんです。一昨日も結局あちこち行っていたので、家に帰ったのは19時くらいだったのですが、それからニュース見たりしていたら、眠くなってしまい、本を持ってベッドに入ったのですが、読む暇もなく、ぐーっと寝てしまいました。昨日も同じようなものです。この休日の使い方に問題があるのかもしれないなと思いました。毎週は無理でも、2週とか3週にいっぺんは、落ち着いて家なりひとつぶなりで本を読もう。積読がどんどん溜まっていって、いけない感じになっています。

もちろん、いつか読む本というのもあっていいと思うけど、そればっかりではね・・・。本当はこの秋はグレーバーの秋にするはずでしたが、やはり夢破れています。私が今、取り組みたいと思っているのは、まずグレーバー、そしてインゴルド、それから近代の超克、それに関連して朔太郎、そしてカフカ、今福龍太、デュシャン、最後に赤毛のアンです。これだけ列挙すると、節操のなさも際立ちますね。

赤毛のアンについては、ちょっと思うところがあります。私の人生に多大な影響を受けたこのシリーズなのですが、無批判にずっと読み続けていました。しかし、最後に読んだ数年前、多分5年前くらいに、アンに感情移入があまりできなくなっていたのです。それまではアンのことが大好きだったし、自己投影もしていたと思うのですが、なんとなく全ての物語が彼女中心になっているのが気持ち悪くなってしまったのです。そのままにしてあるのですが、もう一度、そういう自分の変化を感じながら読んでみたい。また、今の時代からみて、理不尽なことを洗い出してみたい。そういう作業をすることで、この物語が、今の時代に何をもたらしてくれるのか、またはもう何ももたらさないのか、検証してみたいなと思うのです。私は小学校の頃、このシリーズを読んだ時に、アンの生き方は進歩的だとさえ思ったのです。何度読んだかわからないし、セリフさえ覚えているくらいですが、もう一度。

さて、それでは帰ります。明日もがんばろーと思うけど、多分明日は暴風雨のようなので、静かな一日になると思います。ゆっくり本を読みたいと思います。それではまた明日。おやすみなさい。