喫茶と読書 ひとつぶ

20210115

このところ、ちょっとづつ『ブルシット・ジョブ』読んでいます。けっこう厚い本ですが、事例というかエピソードがたくさんあって、面白いです。アメリカのこととはいえ、企業の中では信じられないくらい無駄な仕事というのがあるのだなと思います。そういう私も、厳密にブルシット・ジョブではなかったかもしれないけど、心当たりがあります。社長がおかしなこと言って、書類を作らされるのですが、それは全く使い道がなく、時間の無駄でした。また、取引先の請求書のフォーマットを使用しないといけなくて、自社の請求書があるにも関わらず、手で転記していたりしました。前者は完全なブルシット・ジョブですが、後者はそうじゃないかもしれない。それを出さないと、請求ができなかったから。でも、理不尽でした。手書きなので、間違えたらやり直し。そして、その請求書の書式は、先方から購入しないといけなかったのです。これ、社会のシステム的にダメなやつですよね。自社のコンピューターから出る請求書の方が、よっぽどわかりやすくてきれいでした。

社長や上司から、意味のわからない指示を受けるということは多々ありました。事務員さんなので、言われたらやってみるんですけど、なんのための書類なのかな?ということってよくあった気がします。言われた通りに数字を作ってみたり。原価計算してみたら、最初の見積りから赤字だった、ということもありました。とってきたのは、原価計算を命じた社長だったので、かなり工数をかけてやった子の計算は、すぐに葬り去られました。

そういうことをやりながら、計算の仕方を覚えたり、いろんな部署の人に話を聞いて会社の仕事の流れが明快になったこともあった。というプラスの面もなくはなかったかもしれません。そう当時の自分は思っていて、あまり気に病むことはなかったので、そういう意味でも、ブルシット・ジョブではなかったのかもしれません。

今は、ひとつぶをどうするか、そういうことを自分で決めて、自分で実行しているので、この本に書かれていることは、ちょっと昔の話になってしまいました。会社で仕事をしている時に読みたかったなあ。まだ前半なのですが、これからどういう話になっていくのだろう。AIの登場によって、人の仕事というのはますます少なくなっていくのだと思いますが、それと比例して、ブルシット・ジョブは増えるのではないかと思うのです。仕事が自動化することによって、同じ程度の暮らしができて、かつ余暇が多くなるのではなかったのか、と予想していたのですが。バラ色の未来は待っていなかったのでしょうか。そういう論にはなっていかないのかな。この先が楽しみです。

面白いと思ったのは、「スクリプトレスネス」(筋書きの欠如)という考え方。私たちは、物語を読んだり映画を見たりすることによって、一種の筋書きを頭の中に持っている。例えば片思いする人の気持ち。しかし、片思いされる方の気持ちはそういった作品の中では描かれないため、そちらの立場の筋書きは持っていない、というようなことです。なるほど、確かに。筋書きがないため、人は出来事に対してどのような立場をとって良いのか、どのような気持ちになるべきかがわからない、戸惑ってしまうということ。そういうものなのか!確かにそういうことはある。しかし、それは少し怖いことなのではないか。それでは自分の気持ちというのはどこにあるのだろう。もしかして、もともと気持ちなどというものはないということなの?私たちは常に典型に自分を当てはめて感情を感じているのだろうか。それはちょっと哀しい。

今日は寒くて、またエアコンが一時停止しました。でも大丈夫。ストーブが部屋を温めてくれました。併用すると、やっぱりいいかもしれません。エアコンが最大風力じゃ無くなるような気がします。音も静かだし。やかんから湯気が出ているし。今も私の隣で、静かに暖めてくれています。

さて、本日もご来店いただいたお客様、ありがとうございました。感謝です。明日はまた週末ですね。今週末はどんなだろうか。未来は誰にもわからない。できることを頑張ります。それではお休みなさい。またあした!