喫茶と読書 ひとつぶ

20200616

調理器具持っていて、ダンボール開けてあちこちに配置して、エアコンが届いて、窓を拭いて、本を拭いて、夏目さんがパネルの打ち合わせに来てくれて、また本を拭いて、最後にちょっと休憩しようって思って、一条ゆかりの『デザイナー』を読んで、泣いた。1日が終了。

ダンボールに入っている時には、随分いろいろあるけど、収納できるかな?なんて思っていましたが、全然大丈夫。まだ持って行っていないものも、食器もあるけど、うまく収まりそうな感じ。自宅が随分スッキリしました。今までダンボールの山だったから。あと少し。

『デザイナー』は昔小学生の頃かな?読んだ漫画。一条ゆかりさんの絵がとても好きでした。『デザイナー』は作品の中でも最高傑作だと思っています。私が持っているのは文庫本だけど、1冊で収まる短さだけど、無駄がなくてそれでも、数人の登場人物すべてのキャラが立っている。1コマ1コマの絵が背景まで、本当におしゃれで、見ていて楽しい。物語は、悲しい、辛い、救いがない。でも、昨日は登場人物の一人がたくましく、なんだかそこに救われた。漫画も、小説もそうだけど、読むときの自分の状況や精神状態によって、捉え方が変わって面白い。それでも涙はこらえきれず、嗚咽してしまいました。

漫画を雑誌とか買って読んでいたのは、小・中学生で、そのあとはあまりちゃんと読んでいない。大人になって、昔読んだ一条ゆかりとか、山岸涼子とか少し買い集めたりしました。山岸涼子は一時期『日出処の天子』にどはまりして、全集も買ったりしましたが、引っ越しの時に手放してしまった。これは今でも後悔しています。そして子育て中に育児ノイローゼ気味だった私に、友人が送ってくれたのが『動物のお医者さん』。恋愛抜きの面白さは、当時の私の最高の娯楽になりました。

漫画といって思い出すのは、本当に今となっては笑い話だとおもうけど、小学校だったか、中学校の時に、「漫画を読むことは読書と言えるのか」みたいな討論をしたことがありました。世の中がまだ漫画を文化と認めていない頃。私もカチコチの文学少女だったので(漫画は読んでいたけど)、それは読書とは言えないのでは?と思っていた気がします。今、お母さんたちは、本を読まないなら、せめて漫画でも、と思っている人もいるようで、時代というのは恐ろしいものだなあと思います。そして、さらにいうなら、この間何かを読んでいた時に、明治時代には小説は毒だと思われていたというような記述があって、うわあ、と思いました。小説、漫画、アニメ、人の表現に垣根なんてない。そして、為になる、ならないという議論は不毛である。そういうことなのだと思いました。